「HEAVEN'S DRIVE」〜新しい箱船への渇望〜 ※注意 この文章、かなりブラックなので、それでもいいよという方はお読みください。 まず、この曲のあの特徴的なイントロ、とある洋楽(私名前を知らないんですが)まんまそっくり同じなんですが、ハイドさん大丈夫ですか?笑 まぁ、メロディとかコードとか、そんなことはどうでもいいのです。(よくはないけど。) 当時波に乗りまくり、売れ売れ街道まっしぐらのラルクさんが世にシングルとして産み落としたこの曲、ロックで激しいのに、不思議にキャッチー。いかにもハイド氏っぽい感じの曲です。 確か新聞で着メロ作るのとかのってましたよねぇ?時代を感じます。 そんな、世の多くの人に向けて作られた(もしくはそれにふさわしいとして選ばれた)この曲にハイドくんがつけた歌詞。 よく見ると彼の当時の心情が伺えます。バンドの危機を乗り越え、話題性とメディア露出によってファンの質や層も変わり、急速に認知度を広めていったラルクさん。 出だしからいきなり、 「飽き足りないんだね。次は何が欲しい?」 ときます。 これ以上オレら(それともオレ、でしょうか。)から何を求めるのか。 一体誰が、骨まで食い潰しそうなほど彼らを求めているのでしょうか。 それはよっぽどしつこいのでしょう。次には「一人にしといてくれ!」ときます。 Bメロでは、 「そんなレンズ越しの蛇に遊ばれて囚われた気分さ」 ときます。これじゃぁまるで囚われの身だ!ほっといてくれ!てなとこでしょうか。 そしてそんなにも彼らをとらえて離さないのはどうやら「レンズ越しの蛇」のようです。 AメロとBメロをあわせて考えると「罪の意識のない飢えた口元の レンズ越しの蛇」という感じでしょうか。 さてここで、サビを飛ばしてCメロに行きます。(ついてきてね!笑) Cメロでも、「囚われる」と同じ意味で「死神のとりこさ」ときます。ということは蛇=死神と見て間違いないでしょう。 やっとこメロの整理がついたとこで、サビにいきます。注目すべきはアルバムタイトルにもなっている「箱船」という言葉。 ここでテツ氏の言葉を借りることになるのですが、彼らはしばしばラルクというバンド自体を船に例えます。みんなの乗ってる大きな船。最初は四人しか乗れないくらい小さかったでしょう。しかし時がたつにつれ見知らぬ人もいつのまにか乗っていて、勝手に進路を決められてしまった、なんていうこともなきにしもあらずだったのではないでしょうか。 今、ハイドくんが乗っているのはラルクという大きな船。 しかし、サビでは「新しい箱船」に乗っていこう!と書いてあります。 今の大きな船では蛇や死神に囚われて、やがては食い潰されてしまう。とりたい進路を自由に進むこともままならないことが、多かったのではないでしょうか。そうなる前に、道連れに罰を受ける前に、新しい箱船にのって、愛しい人とどこまでも行こう。光を探しに行こう。自由になろう。 てな感じに、ここまできたら蛇・死神が何で新しい箱船が何なのか、わかってきたでしょうか。 ファンもラルクも手に負えない!自分の小さな船が欲しいなぁ…というハイド氏の願いが秘められているのではないかと勘ぐる訳です。 まぁきっと深読みのしすぎで懐疑的になりすぎな解釈かもしれませんが、そう考えながら他の曲も聴くと意外に共通点が見つかるかも知れません。笑 ところで、同じアルバムにテツ氏作詞作曲、ファンに向けた歌として有名な「Perfect Blue」なる歌があります。これもファンがまったく手におえない!ということをのべてますが、比べるとやっぱりハイドくんはオブラートに包むのがとても上手だと、思いませんか?笑 いや、テツ氏が下手なだけかしら?笑 |